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doraのつれづれ

日々のつれづれを 綴ります
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    12年目
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      JUGEMテーマ:君のこと

      ほんとは 8月1日でしたが。。。

      今年は ちょうど 子供の夏休み工作教室があり、
      会社を休んだので 子供らとともに
      どんぴしゃりの 母の命日に お墓参りに
      行けました。

      そのときにも ふと 思った。

      もう 11年前になるのか。。。。

      まだ 全然 つい最近のような気がしてるのに。

      兄ちゃんが 産まれた年で、
      兄ちゃんが 来年 中学生なんだから、
      それくらい 経ってるのなんて
      考えたら わかることだけど。。。


      自分の胸のこともあるから、
      あと 20年。。。15年は 元気でいられるように
      お母さん、すみれちゃん 見守っててね!
      と お参りしたんだけど。。。


      現在 子供たちが 元旦那の実家の
      山形へ 行ってるので
      仕事おわってから 夜が長いヤッタv

      たまってた 録画を見ていたら
      某グループが メドレーを歌っていて、
      そこに 曲名と2003年とか 年が出た。

      何の気なしに 見てたんだけど、
      この時期だからかな??
      2003年に この歌 歌ってたんだ。。。?
      2003年やったら お母さんが 亡くなった年か。。。
      お母さん こんな有名な歌 知らんのか。。。

      2000年とか出たら、
      お母さん あと 3年で亡くなったんだ。。。
      その頃 私もだけど 本人さえも
      あと 3年で 死ぬなんて まさか思ってなかったのにな。。。
      とか、

      そう考えたら 自分は あと何年
      生きられるんだろう。。。とかになって、
      ひとり 夕方から しんみりしてしまった。


      そんな 考えても しゃーないこと
      考えても しゃーないけど、
      いまの 小さな幸せを喜び
      日々 屋根がある家に住めて
      毎日 おまんまが食べれることに感謝して
      せっせと 生きてくしかないよな。。。
      な、結論しか出なかったのですが。




      がんばりまっしょい!!!





       
      | 大切な人のこと | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
      10年です。
      0
        JUGEMテーマ:君のこと

        また この日がきました。
        私のお母さんの命日です。

        10年かな。。。
        お兄ちゃんが 産まれて 半年で亡くなったので。

        相変わらず お母さんは夢にさえ 出てきてくれないけど、
        お盆には 帰ってきてくれるかなあ。

        お母さんは 猫が嫌いだったから
        いまの状況 見てたら なんて言ったかな?


        10年も たったという気がしない。

        けど、正直いって 最近 ほんとに気ぜわしくて 
        ゆっくり お母さんを思い出せてなかったかも。

        けど 最近 自分の身体を壊すことが増えて
        ふと 私がお母さんの歳まで 生きるとしたら
        もう 20年もないんだ。。。と 考えたことがある。

        18年しかない。

        で、仕事が楽しくないとかあるけど、
        18年しかない人生だとしたら
        もう なにが 大事か考えたら
        自分と家族の生活。

        18年しかないなら、笑って暮らせる方がいい。

        仕事なんか 二の次。
        いま この条件で 他に見つけられるのか?
        パートなのに 保険があって
        勤務地も近くて 子供がなにかあったら
        帰ったり。。。と言ってくれるような仕事。

        ない。

        そして、ほかに したいこともない。

        なら、仕事 ないならないで
        あるふりして 時間過ごすほうがいい。

        18年しかないなら、子供と
        自分のプライベートな時間(友だちとの時間)のが大事。

        18年しかないなら。。。

        18年しかないなら。。。

        ちょっと しんどいなと思ったとき
        こう考える 思考回路になってます。

        そう 考えると ちょっと いまを大事にしないとなと思える
        自分への戒めというか。

        けど、お母さんは きっと まだまだ続くと思ってたんだろうな。

        さぞかし 無念だったろうな。

        せっかく 孫ができて、
        長年勤めた パートを定年退職して
        長年の夢を かなえようとしてた矢先だったのに。

        そこんとこを考えると、ほんとに切なくなる。

        だって それまでは お母さんに心配しかかけてなかった私。

        感謝の言葉も あんまりかけてあげてなかった。

        おかあさん 私なんかが娘で
        幸せだったんかなあ。。。

        やっと 私もお母さんのありがたみが
        心からわかって ほんとの意味の感謝の気持ちを
        伝えれたのに。

        孝行したいときに 親はなし。

        輪廻転生。
        したことは 返される。

        きっと 私も さびしい人生の幕切れなんだろうな。

        で、猫を飼ったってのもある。。。実は。


        いつもいつも こんな後ろ向きチックなこと
        考えてるわけじゃないけど、
        こういう考え方になったのも
        お母さんが亡くなってからなんだよな。





         
        | 大切な人のこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
        8年前
        0
          JUGEMテーマ:君のこと

          8年前の今日、すみれちゃんが
          妊娠5ヶ月で 生まれてきてしまいました。

          これは 去年も 書いていたんですが、
          アップする 直前に 記事が全部消えてしまい、
          去年は アップするのを やめました。




          すみれちゃん。。。
          5ヶ月で 生まれてきてしまったけど、男の子でした。

          ちっちゃい 体で 
          ちっちゃい おちんちんも
          ちゃんと ついていたんですよ。

          けど、まだ 女の子の名前しか考えてなかったので、
          いつまでも すみれちゃんです。

          弟だけど、すみれちゃん。
          いつしか 兄ちゃんもチビすけも
          普通に すみれちゃんと 呼んでいます。

          すみれちゃんを 身ごもっていたときは
          というか、兄ちゃんのときでさえ
          私は 妊娠するってことを 簡単なことと考えていました。

          兄ちゃんは 子供を作ろうと意識して作ったわけではないし、
          臨月間近に ライブに行ったりもしていた。

          で、2人目は 作ろうと思って
          狙ったら すぐできた。

          こんなもん〜 くらいに 思ってた。


          それと 元旦那の 仕事内容が変わって
          それまでは トラックの運ちゃんですが、
          毎日 帰ってきていたのが その頃から
          長距離になった。

          1週間に1回 帰るか、帰らんか。

          いまとなったら それの方がラク〜
          帰ってこんで いいぜ。。。くらいに 全然 思えるのに、
          その頃の私は 初めての 二人目妊娠で、
          つわりもあって、なのに 旦那は家にほとんどいなくて
          「しんどいのは 私ばっかり」
          と ずっと 思ってた。

          なにも したくなくて、おえ〜おえ〜と 言いながら
          当時 3歳の兄ちゃんを ほったらかしにして
          ずっと 横になってたと思います。


          おなかの すみれちゃんを 気にかけてあげてなかったと思います。



          そんなとき、8年前の1月7日の 夕方くらいから
          急に おなかが 痛くなってきた。

          似ている感じは 下痢の感じ。

          けど、下痢ではない。

          ギューッと痛くなって、すぐ ましになる。

          これって、終わってから考えたら
          陣痛に間違いがない 痛さなんですよね。


          けど、まさか 5ヶ月で 陣痛が 起こってるなんて
          そのときの私には 想像もしていなかった。

          痛いときは ほんと 痛いけど、
          おさまったら ウソのように 痛くないし。
          (それが 陣痛なんだけど)

          で、これは もう さっさと 寝てしまおう。
          朝になったら 治ってるやろ。
          ちょうど 明日は 検診の日やし〜。
          と その日は 寝た。


          目がさめた。
          とたん、痛い!!!

          全然 おさまってない!!
          しかも、ひどくなってる??


          おかしいなあ、おかしいなあ と思いつつも
          普通に 朝ごはんを 兄ちゃんに食べさせたりした。

          で、痛みに耐えながらも 普通に
          クルマを運転して 病院に行った。
          検診だったから。


          二人目は 慣れた気になって、
          兄ちゃんを産んだ 産婦人科は 遠いし、激混みなので
          普段の検診は 近所のすいているところへ行っていた。
          (普段は 産婦人科というより おばあちゃんとか
           婦人科みたいな 雰囲気の病院)

          で、病院について いつものように
          検診の台に乗る部屋に 入ろうと 戸を開けたとたん、
          ザバーッと おもらしした。
          。。。。おもらしじゃなくて、破水だった。

          でも、突然のことで 何が何かわからず
          「すみません、すみません!」
          と 看護師さんを 呼んだと思う。

          そこからは アタマがボーッとしている。

          私のアタマの上を 言葉がとびかっていた。

          「これは 破水やな」

          。。。。破水やったんや。。。。

          「すぐ 産む予定の病院へ
           救急車で 搬送するから。
           ここは 産む設備がないから」

          。。。産む?


          「この時期に こんだけ 破水したら
           もう 赤ちゃんは助からへんと思う」

          。。。。え?どういうこと??



          なにがなんだか わからず、
          涙も出ませんでした。


          そしたら、救急車 到着。

          兄ちゃんも なんか えらいことが起きていると察知していたみたい。

          いっしょに 救急車に乗って
          兄ちゃんを 産んだ産婦人科へ。


          救急車で 救急隊員の人に
          名前やら 何か 聞かれて 
          うわのそらで 答えた気がする。

          あんまり 覚えてないけど、
          救急隊員の男の人に 病院に着く間際に
          「この時期の破水は おかあさんのせいじゃないですから。。。」
          と 言われた気がする。

          そのときは 流れるように そのあとのことが起こったので
          だいぶんあとに 思い返したのですが。

          “自分のせいじゃない、責めないで”
          と 言ってくれていたのでしょうか。



          分娩台に 乗せられて
          「悲しい 出産を しなければいけません」
          と 言われたように 思う。


          もう 陣痛は起こらないから
          風船みたいなのを 子宮に入れて
          無理矢理 陣痛を起こします。
          とか いわれ。。。。


          なにがなんだか わからないうちに
          決して 産声があがることがないとわかっていながらの出産。。。



          兄ちゃんは 看護師さんが 見ていてくれていたみたいで
          たった ひとりで 産みました。。。




          ほんとは もっと いっしょにいれたのが
          もう いれないのなら、
          せめて 今晩だけでも 親子水入らずでいさせてほしい
          という 私の意志をくんでくださって
          病院が 赤ちゃんを ただ 箱に入れるのではなく
          花を敷き詰めて 持って来てくださった。



          からっぽになった お腹。

          3年前は 同じ病院で 兄ちゃんを産んだのになあ。

          そのときは 想像もしていなかったけど、
          私みたいな 悲しい出産をしていた人もいたのかもしれない。

          病院側が 配慮して ちょっと 離れた部屋を 用意してくれたけど、
          あれは 他の家族の幸せそうな現場に 遭遇しないようにだったんだなあ。

          食事も 食堂でなく、ずっと部屋だった。


          ただ だいぶ 配慮のあった病院だったとは思うけど、
          いまだに 忘れられないことがある。

          掃除のおばちゃんが いつも 朝ごはんが終わったくらいに来るんだけど、
          普通に 来て 枕元にある すみれちゃんの箱を
          「いや、なに これ?」
          と 言った。

          私は 笑顔がかたまった。。。

          おばちゃんは すぐに そういうことかと 気付いたみたいだったけど、
          そこまで 徹底して 情報伝達しといてほしかった。



          やっぱり そういう立場にならないと、
          その人の気持ちって わからないんやなあ。。。


          普通に 産んだんじゃないから、
          もう 朝ごはんが 終わったら 退院だったと思う。



          もっと 大事にしてあげればよかった。

          せっかく 授かったのに。

          どんな子になってたんだろう。。。

          すみれちゃんは こんな お母さんのところにきて、
          楽しかった?

          なんのために 来てくれたの?

          こういうことを 気付かせるため?


          そんなん 悲しすぎるなあ。。。



          けど、もし すみれちゃんが 無事 産まれてきてたら
          多分 チビすけは いなかっただろうなあ。


          おかげで チビすけが おなかにできたときは 
          兄ちゃんと 毎日
          「赤ちゃん 元気に出てきてね」
          と おなかをさすってた。

          すみれちゃんに してあげなかったこと、
          できなかったこと、罪をつぐなうがごとく。


          赤ちゃんが 芽生えて
          無事 産まれてくることが 
          どんだけ すごいことで 奇跡なことか
          チビすけのときは ちゃんと わかって産めたよ。




          きっと むこうで
          お母さんと いっしょに 待っててくれてるよね。










          | 大切な人のこと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
          一期一会
          0
            JUGEMテーマ:ふと思ったこと。

            短大時代の友達 A子どん。

            めっちゃ 縁を大事にする。
            。。。とは 思ってたけど。

            ものすごい前に ぴかちゃんと会わせたことがあって、
            (ぴかちゃんは 学生時代のバイト友だち)
            何年か前に ぴかちゃんに
            「年賀状のやりとりは まだしとるで〜」
            と 聞いて、ふたりとも 元は私の友達で
            会わせたには 会わせたけど、
            勝手(?)に やりとりしてたんだ〜!と
            何年か前に ビックリした。

            年賀状の時期(いま)って
            久々に来た友人の年賀状にメアドとか 書いてあったりで
            いつも 少し 縁が復活したり。。。ってことありますよね。
            何人か そういう人いたんだけど、
            も一人の 友だち、Aちゃん。

            Aちゃんとも 私のお母さんが 生きてたときからの友だち。

            お互い 若ーーーい 時に出会って、
            遠いし、私が結婚して 子供ができたりで
            あんまり 出れなくなって すっかり年賀状友だちになってた。

            そのAちゃんの 年賀状に
            「会いたいんだけど、どない?
             A子どんも 呼んで 集まろ〜」

            え?? なんで Aちゃんが A子どんを知ってるの??

            すぐメール。
            めっちゃ 久々。

            そしたら、もう 何年も前に 落語会に
            いっしょに 行ったやん〜 とのこと。

            若かりし頃 落語会に 行きまくってた時期がありました。

            そのときに A子どんも 誘って 会わせてたことがあったのね。

            当の本人(私)も すっかり 忘れてました。。。。


            けど、それ以来 ずーーーと 年賀状やりとりしてたとか。



            すごいな〜、A子どん。



            それで 私も感化された。


            Aちゃんも 月日が流れ 背負うものができ
            簡単に 家を開けられない状況になってるみたい。

            その Aちゃんが 「会おう」と言ってくれてるんだ、
            子供がいるから 出にくいなんて 
            もう 小学生になる子たちだし、
            そんなん もう 理由にしないぜ!
            今年は(これからは) 縁を大事にする!

            いまのAちゃんと 私だったら
            私の方が 出やすい気がする。

            どこへでも 出て行きまっせ!
            がんばって 会おう!!

            いつでも 言って!

            なんて 熱く 縁を 復活!!

            会うなら どっかで 泊まって
            しゃべり明かそうぜ くらいに 高まってます!


            Aちゃんに 限らず
            今年は 縁を大事にしようと思ってます。

            皆さん、よろしゅう。。。




            | 大切な人のこと | 13:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
            でも、考えてみると。
            0
              JUGEMテーマ:日記・一般
               
              どっぷりと 冬休みに入り、
              私は 大キライな 掃除を 少しずつ取り掛かってるのに、
              それを よそに 子供らは ファンヒーターで
              ぬくぬくの 部屋で ゲーム三昧。

              掃除も 分担させると かえって
              私の仕事が増えるし。。。

              いままで 仕事や学校で 昼間いないときは
              ファンヒーターの灯油の補充なんて
              1週間に1回あるかないかだったのに、
              ここんとこ 毎日のように 補充してる。。。。

              ゲームしまくりで イライラするし。。。



              けど、考えてみると。


              もし 同じ状況で 子供だけ 旦那に取られてたら。。。

              年末に 親もいない、子供もいない
              。。。。こんな寂しい 年末ないで。。。


              3人で 笑い絶えず、
              とりあえず あったかい家に住めて
              おまんまが 食べられてる。。。
              そして、なにより 何年か前みたいに
              年末に 病院騒ぎにもならず、
              健康に 歳を越せそう。。。。

              それで いいやんね。

              時々 イライラが 絶頂にきたら、
              離婚のときに 子供らが 私を選んでくれた、
              それ(初心)を 忘れんようにしよう。。。

              ひとりやったら イライラもないで、
              寂しいで〜って。



              最近 子供らが 手を離れたときのことを
              やけに 考える。

              そのときに 寂しくないよう
              いまを どう 過ごすか。


              日々 精進やね。






              | 大切な人のこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
              反省。。。
              0
                JUGEMテーマ:日記・一般
                 
                最近 ちょっと 時間的余裕がないからか、
                そんな イライラしてる感じは ないつもりだったんですが、
                兄ちゃんを 見ていたら チビすけに対して
                「うっさいわ!」
                とか 一言で ガーン!と言ってる感じが多くて
                それを 私が
                「そんな言い方あるかい!」
                と ガーン! という感じで。。。

                そんな感じで 日々 やりすごしてたんですが、
                ハッと気付きました。。。

                “私が そんな言い方してるからか。。。”


                こんな簡単なことが 日々 バタバタしてたら
                見えなくなってくる。。。。


                そんなとき 事件が。

                昨日 寝る前に 子供ら トイレに行かせるのですが、
                私は 髪を乾かしていたので 現場を見てないのですが
                トイレ方面から 
                「ピギャーーー!!!!」
                と すごい チビすけの 泣き声が。

                普段 外で 走ってたりして こけても
                泣かないチビすけが。。。


                飛んで行ったら 兄ちゃんが 
                大泣きしてる チビすけに キレながら
                「お前が 悪いんやろ!!!」
                と 言い放った!
                そして、2階に寝にあがってしまった!!


                とりあえず チビのケア。。。

                どうも トイレのドアの つなぎめの方のスキマに
                チビすけが 指を入れていて
                兄ちゃんが トイレから出て 知らずに締めて
                指をはさんだみたいです。。。


                指の皮がめくれて 血が出てるけど、
                骨は折れてないみたい。。。

                直後は はさんだところが へこんで
                骨おれてない??
                と 思ったくらい。。。

                グーパーができたので 大丈夫みたい。

                バンドエイドしてた頃には 泣き止んでいたけど、
                とりあえず ギューとして(久々かも。。。)
                「痛かったなあ。かわいそうに」
                と 受け止めてあげたあと
                「けどな、あそこに 手を入れたら あんな危ないことになるねんで
                 わかった?
                 骨 おれてないから よかったけど、
                 下手したら 折れることもあるんやで」
                「うん」
                「けど、お兄ちゃんの言い方も あんまりやったから
                 それは いまから 2階に行ったら言うからな」
                「うん」




                2階にあがり、次は 兄ちゃん。
                基本 兄ちゃんは 優しい子なので、
                こっちが キレずに 諭せば わかってくれるはず。。。

                寝転んでるのを 起こして
                「あんなとこに 手があると思わんし、
                 わざとじゃなかったし、
                 ビックリして 腹たったのは すごいよくわかるで。
                 けど、普段 ころんでも 泣かへん チビすけが
                 あんな 泣いてるのに あんな言い方はないんちゃう?」
                「。。。。。」
                「おかあさんが 昔 兄ちゃんの足を
                 玄関のドアで 挟んでしもたとき
                 あれも わざとしたんじゃないけど、
                 おかあさん 兄ちゃんに 
                 “お前が そんなとこに 足 置いとるからや!”て
                 怒ったか?
                 あんとき おかあさん 兄ちゃんに 必死で
                 “ごめんな、ごめんな!!”って言ったやろ?

                 どう思う?」
                「悪かったと思う」



                無事 仲直りしました。。。。

                そのときに 心の中で 自分も反省。。。。

                最近 ピシャリと 怒鳴り散らすだけで
                こんなふうに 言い聞かせるとか 諭すとか
                してなかったかな。。。。


                母ひとり 子ふたりなのに、
                こんなことじゃ あかんよなあ。

                これから 男の子ふたりだし、
                ますます 子離れするのになあ。。。





                | 大切な人のこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
                9年
                0
                  JUGEMテーマ:君のこと
                   
                  目ですが、無事 月曜には 見た目 わからないくらいになりました。


                  本日。。。
                  9年前の 8月1日は 私のお母さんの命日です。

                  9年前 私は 嫁いだ山形で なじめず
                  毎日 地元に帰りたい。。。。と 泣く日々を送っていました。

                  おなかに 兄ちゃんができたから
                  無事 ふみとどまりましたけど、
                  ちょっと うつになりかけていたくらいで、
                  睡眠薬を 1回 飲んだりしたところで
                  兄ちゃんを みごもっていることが わかり 
                  “毎日 泣いてたらあかん!” と思いを切り替えることができました。

                  2月出産予定で、1月くらいに里帰り出産するのに
                  もう 里心がついてしまって、確か 12月くらいに
                  帰ってきてしまった気がする。。。


                  しかも、お腹大きいのに 
                  産まれても 戻りたくない。。。
                  なんなら このまま 離婚。。。くらい 思ってた気がする。

                  で、結局 両方の両親には 
                  心配かけないように 言ってなかったのに
                  初めて 打ち明けた。

                  話し合いの結果 元旦那の両親が
                  「どこででも 元気にやってくれるなら」
                  と 言ってくださったので、はれて 地元に戻ることができた。


                  いま 住んでいる実家から クルマで15分くらいの
                  団地に 引越し。

                  やっと 心の平安を 取り戻した。


                  無事 出産。

                  2月に産んで、3月いっぱいは 実家にいた。
                  いわゆる 普通の親孝行ができた。

                  兄ちゃんの 風呂をいれてもらったり(沐浴してもらったり)
                  添い寝してもらったり。

                  そのときは こんな日は これからも続くと思ってたので
                  さして 感謝してなかったのに。

                  夜中とか 何回か起きて おっぱいとかしてたので
                  普通に イライラし、特に おっぱいが うまくできず
                  血だらけになりながら 泣きながらおっぱいをあげてたので
                  私のイライラも 最高潮になり あたったりしてたなあ。。。。


                  4月から 団地に戻って 過ごした。

                  いまから考えると 唯一の その団地で
                  ゆっくり過ごした 期間だったなあ。。。
                  ほんの15日間くらいだったけど。


                  兄ちゃんの誕生日から ちょうど2ヵ月後
                  4月中旬 いきなり 電話がかかってきた。

                  確か お父さんから。
                  お父さんと 電話で話すなんてことなかったから
                  「何事?!」と 思った覚えが。

                  お母さんが 入院することになった。

                  ほんとに 寝耳に水。

                  え? だって、3週間ほど前まで 普通に元気やったやん?


                  そこからの 記憶が あんまり 明確ではないんだけど、
                  次に覚えてるのは 弟と私の ふたりで
                  病院の先生に話を聞いたシーン。

                  別室に 私たち 子供(もう 大人だけど)が呼ばれて、
                  こんなん 絶対 いい話なわけない。。。。と。
                  ドラマみたい。とか かなり ドキドキしてた気がする。

                  けど、まさか 死ぬような 命の宣告をされるとも思ってなかった。

                  子供を産んだばかりで 人の死に
                  まだまだ ピンときてなかった。


                  先生に 癌です、と 言われ
                  しかも 余命6ヶ月、と 言われ
                  目の前が まっくらになった。

                  どこか 遠いところで 先生の声が聞こえていた。


                  まだ 精密検査をするけどとかなんとか 言われていたような。



                  確か 先生がいなくなってから
                  弟と ふたりで 子供みたいに 泣いた気がする。

                  ふたりで 単純に 泣いた。


                  ほんと 信じられなかった。


                  お母さんは 前向きな人で
                  多分 病名は 明かした方がいい。
                  けど、余命は とりあえず 告げられなかった。

                  お母さんは 私が子供の頃から 夢があった。

                  私が 子供の頃から 聞かされていた。
                  「お母さんな、いつか 自分の店を出したいねん。
                   採算度外視でいいねん。
                   自分の手作りの服を 売るねん。」

                  だから 私の子供のときの服は お母さんの作った服が多かった。


                  子供のときの私は これまた 市販の服のがいいのに。。。くらいに
                  思ってた 親不孝な子だったかも。



                  けど、夢は夢でなく ほんとに着々と 準備を始めてた矢先だった。


                  ちょうど 私が 子供を産んで 実家にいた3月末で
                  長年 勤めていたパートが 定年になって
                  皆に 送別会もしてもらって 
                  次は 自分の店を 出す準備に とりかかっていた。


                  店の包装紙、レジ、店の看板。。。
                  服につける タグ。


                  ほんとに するんや。
                  お母さん すごいな〜
                  と 思ってた矢先。

                  余命6ヶ月なんて 言えなかった。

                  癌と戦って 店を出すんだ と思ってもらいたかった。

                  だから ずっと 
                  「お母さん ありがとう」が 言えなかった。

                  なんか お別れの言葉みたいじゃない?

                  気付いてしまう、と思ったら
                  一番言いたかった言葉なのに 言えなかった。


                  はっきり 覚えてないけど、
                  ゴールデンウィーク明けくらいから?
                  転院した。

                  それまでは 団地からも近い 市民病院だったけど、
                  成人病センターみたいなところへ。

                  クルマで 3,40分くらい かかった。

                  けど、産まれて 3,4ヶ月の 兄ちゃんを連れて
                  お父さんを クルマに乗せて 毎日 通った。

                  寝不足が 続いてたから、
                  運転しながら かなり 眠かったのを思えてるなあ。

                  で、いまから考えたら 成人病センターなら
                  そんな 菌とか 大丈夫だったと思うんだけど、
                  そんな 赤ちゃんの兄ちゃんを 病院内に入れるのは。。。と
                  お父さんと 交代で 庭のようなところで 
                  兄ちゃんを ベビーカーに乗せて
                  ひとりが 兄ちゃんを見ていて、
                  もうひとりが お母さんの病室へ行った。



                  そんなだから おっぱいも そんなに出ないようになり、
                  何回かは ミルクになった。



                  あれは 市民病院のときだったかな?

                  一度だけ 兄ちゃんを見てみると
                  外に出てきたことがあるなあ。


                  そうやんな、お母さん 生後1ヶ月くらいから
                  兄ちゃん 見てないもんな。

                  毎日 病院に連れてきてるのに。


                  記憶は途切れ途切れだけど、
                  看護師さんの 詰め所の辺りで
                  七夕の 笹があったので 7月。

                  その頃は もう そのすぐ近くのナースステーションの
                  笹飾りすら 見に行けない状態だった。


                  けど、まだ 話はできた。
                  でも 話をするのも つらそうだった。


                  あれは 確か 6月くらい。
                  直木賞とかの話題があったから。

                  実は お母さんの弟(私にとって叔父さん)が
                  作家で でも ここ何十年も 書いてないんだけど
                  私が 小学校くらいの頃は 何作も書いていて
                  映画化になった作品もあったりして。

                  6月くらいに お母さんが ポツリと
                  「●くん(叔父さんのこと)、直木賞とったなあ」
                  と 突然 言ったので 
                  「ウソやん?! マジで?」
                  と 驚いたことがある。

                  すぐ それは お母さんの妄想とわかり、
                  かなり ショックを覚えたから 覚えてる。

                  お母さんには 否定しなかったけど。

                  意識 混濁してるんかなあ。。。
                  なにが 現実かわからんようになってるんかなあ。

                  でも まだ普通に話せるときが ほとんどだったから、
                  「おかあさん ありがとう」
                  が 言える 最後のチャンスだったんだな。

                  けど、結局 悟られるかもと思い 言えてない。



                  弟一家も 7月に入ったら 
                  弟以外は ずーっと 実家に泊り込んでくれて
                  皆で 毎日 病院に行ってた。


                  交代要員が増えたから 私も病室に 長くおれるようになり、
                  いつだったか 覚えてないけど
                  弟と 私ふたりが お母さんについてるときがあって、
                  そのときに ふたりで たまらんようになって
                  「おかあさん ありがとう」
                  って 言えた気がするけど
                  そのときは もう ちゃんと 伝わってたかどうか。。。


                  7月下旬くらいに とうとう 個室になり
                  もう 話もできない状態になった。


                  交代で 誰かが いっしょに病室に 泊まってた。

                  自分が 泊まってるときに 急変したら。。。。
                  ドキドキして ろくに眠れんかった。


                  のどが 渇くみたいで
                  スポンジが先についた スプーンみたいなもので
                  水を含ませて 口元に持っていってあげたら
                  しきりに 口でスポンジをしぼって飲んでた。

                  もう 苦しんでる お母さんに
                  私が してあげられるのは それくらいしかなかった。

                  で、必死で それをしていたら
                  水が もういらないというのも わからなかったので
                  お母さんは もう いらないのに 水を含ませてしまったみたいで
                  むせてしまった。

                  泣きそうになりながら
                  「おかあさん、ごめんな、ごめんな」
                  と 言ったのを 覚えてる。

                  お母さん 苦しそうに
                  言葉はなかったけど
                  「ええねんで」というように
                  首をふってくれた。



                  私が泊まるとき、
                  お母さんが 一番 友だちみたいに親しくしていたっぽい
                  看護師さんが(多分 私より若い)
                  いまから 考えて 多分 もう その看護師さんが
                  次 仕事で来るときには 会えないと思ったんでしょう、
                  仕事を終えて帰るときに お母さんに会いに来て
                  「○○さん、私ね、明日 非番やの。
                   帰るね」
                  とか なんとか 言いに来はった。

                  そのときに もう ずっと 息もゼエゼエ言ってるお母さんが
                  苦しそうながら
                  「ありがとうな」
                  と その看護師さんに 言ったのを覚えてる。

                  結局 やっぱり その日が その看護師さんが
                  お母さんと 会った最期の日でした。


                  もう そのへんからは 目も開けることがなくなって、
                  ひたすら お母さんの 苦しそうな あえぎ声だけが
                  病室に響いてた。


                  義妹ちゃんが 泊まったときに
                  とうとう 来てほしくなかった瞬間が。。。

                  夜中に 電話が鳴った。

                  急変。。。


                  そんなときも 冷静に おやじが
                  帰り 連れて帰れるように 
                  シートの倒し方の 説明を読んでたかしてたのを見て
                  かなり 憤った気がする。


                  病院に 着いた。

                  間に合わなかった。


                  もう 苦しそうな声はしてなかった。


                  お母さんに 化粧をしてあげた。

                  安らかな顔でした。


                  あんなに 苦しそうだったのに
                  死に顔は かすかに 笑ってるように見えた。




                  こんなに 細かく 書いたことなかった。

                  長い文章 読んでくれて ありがとうございました。


                  どこかに 残しておきたかった。

                  ただでさえ かなり 記憶あやふやになってきてたから。




                  やっと ほんとの意味で 
                  お母さんの してきてくれたこと、
                  お母さんの気持ち わかるようになってきたのに。


                  こんなとき おかあさんなら どうする?

                  去年 離婚したとき
                  おかあさんが いたら どう言ってくれてたかな?

                  どうしても 仕事 抜けられないとき
                  熱が出た子供 迎えに行ってほしいなあ。。。とか

                  近所の子や、友だちが
                  子供(孫)つれて 実家に戻ってきてたら
                  いいなあ。私もしたかった。。。。とか

                  お母さんに かなり 大きくなっても
                  えらそうな クチを聞いてたガキだった。

                  けど、短大のときくらい デカクなったのに
                  まだ 時々 甘えて 抱きついたりしてた。


                  9年 たっても 全然 恋しい。

                  まだ 夢にも出てきてくれない。


                  けど、毎日 兄ちゃんも 
                  会ったことない チビすけも
                  寝る前に 仏壇で
                  「ばあちゃん、すみれちゃん(5ヶ月で 亡くなったふたりの弟)
                   ご先祖様、ショウちゃん(9年たって 増えました。ちなみにショウちゃんとは 飼っていた犬です)
                   今日も みててくれて ありがとう。
                   また 明日も みててね」
                  との挨拶も しっかり 日課になってて
                  そんな 子供たちになってくれて 
                  私は うれしいです。



                  私も お母さんは 見ててくれていると思う。


                  で、きっと 手抜きな この家の中の
                  有様をみて 空から 怒ってるんでしょう。。。。






                  | 大切な人のこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  母の日
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                    JUGEMテーマ:日記・一般

                    少し前から 兄ちゃんが 
                    「母の日 おかあさんに なんか あげたい」
                    なんて かわいらしい うれしいことを
                    言ってくれていたのですが、
                    そんな お金もないはず。

                    1ヶ月 毎日 お手伝いを ちゃんと 
                    やりきったら、500円 あげていますが、
                    漫画の本を コツコツ 集めているので
                    ほとんど お金はないはず。

                    それを 知っているので
                    気持ちだけ もらうつもりで
                    「ありがとーなー
                    と 言っていた。

                    そしたら、昨日 マジ気味で
                    「なんか あげたい」
                    と 言い出し、マジなようなので
                    「でも お金ないやん」
                    と 言ったら
                    「そうなんよな〜」
                    と 言ってた。

                    そしたら、なんと チビすけが
                    「ぼくの お金も使っていいで」
                    ですって!

                    一応 チビすけにも 同じようにお手伝いをしてもらってるので、
                    500円は あげてないけど、1日10円とか(あげたり、あげなかったり)で
                    チビすけには 買いたいものが いまのところないので
                    かれこれ 1500円くらい たまってる。

                    それを 使っていいと!

                    兄ちゃんは 300円ほどなので、
                    1800円くらいある。

                    兄ちゃんが
                    「なにが ほしい?」
                    と言うので 
                    「じゃあ 皆で お店にケーキ食べに行こか」
                    と 言った。


                    兄ちゃん ちょいちょい すごくうれしいこと言ってくれるんだけど、
                    3日くらいしか 持続しないんよな。。。。

                    料理も 結局3日くらいしか 手伝ってくれなかったし。。。

                    そしたら、今日 ケーキ行くかってときに
                    「やっぱり 行かへん」
                    やって。。。

                    チビすけは 行きたがったけど、
                    全員で 行かへんのなら 意味がないから
                    じゃあ 私は 私がほしいと思ってた服を買いに行くから!!

                    って、結局 一人で 買いに行った。

                    なんじゃらほい。
                    まあ 一人の方が ゆっくり 試着とかできるんだけどね。

                    男の子供なんて こんなもんかな。
                    まだ カネを払ってくれただけ マシかもな。

                    そのうち 大きくなったら 
                    おかん(私)になんて見向きもしなくなるんだろう。。。

                    ほんま 男の子の子育てなんて
                    やりがいないわ〜〜〜

                    おっきくなって カノジョなんか できたら 
                    はいそれまでよ、やしな。。。。




                    と まあ ビミョーな 母の日でしたが、
                    考えてみれば、自業自得なのかもしれない。。。

                    だって 私が、私の母に なんか 母の日に
                    してあげたか 記憶にないもの。

                    男の子の子育てって。。。
                    私 娘やったのに。。。。

                    お母さんは 娘を産んだのに、
                    さぞかし 寂しかったんだろうなあ。。。。

                    お母さんに ほんと 優しくなかったもんなあ。。。私。

                    きっと したことは され返すっていうから
                    いま こうやって されているのかもなあ。。。


                    でも マジな話、自分がしてほしかったからじゃなくて、
                    もっと お母さんに 優しくしてあげればよかったし、
                    もっと お母さん同士になった立場での話をしたかったし、
                    聞いてもらいたかったなあ。。。。。

                    いまなら 聞いてほしいこととか 
                    アドバイスしてほしいこととか いっぱいあるのになあ。

                    お母さんが亡くなってから 一度も
                    夢にさえも 出てきてくれない。。。

                    夢でいいから 会いたいわ。。。。





                    | 大切な人のこと | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    7年
                    0
                      JUGEMテーマ:君のこと
                       
                      もう 7年になるんだなあ。

                      私には 兄ちゃんと チビすけの間に
                      すみれちゃんという 
                      5ヶ月で生まれてきてしまった男の子がいました。

                      すみれちゃんの話が 子供たちと出ない日はないくらい
                      子供たちが すみれちゃんを受け入れてくれているのが
                      私には うれしい。

                      なかったことには したくなかったから。
                      すみれちゃんは 5ヶ月だけだけど、
                      確かに 私のお腹にいたから。

                      たまに お兄ちゃんは
                      「すみれちゃん、やめてよー」
                      とか 言っている。

                      「すみれちゃんが 押してくるねん」
                      とか。
                      ほんとかどうかは わからないけど、
                      お兄ちゃんも3年だし そんなウソは言わないよね。

                      ウソでも 幻でも 
                      否定しないで 認めてくれているのがうれしい。

                      もし 元気で生まれてきてくれていたら 7歳。
                      1年生とかかな。

                      どんな子になってたんだろう。

                      でも もし すみれちゃんが 元気だったら
                      もしかしたら チビすけは いなかったかもしれないんだもんね。

                      全部 なるべくして なったんでしょうか。


                      きっと お母さんが 
                      すみれちゃんと いっしょに ついててくれているでしょう。

                      私が そっちにいったら 真っ先に
                      会いたい 人たちです。






                      | 大切な人のこと | 20:03 | comments(2) | trackbacks(0) |